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ペット好きふん坊のバイヨン寺院

バイヨン寺院
アンコール・トムは時代の違う幾つかの遺跡を飲み込んだ形で建造されている。
その中心に有るのがバイヨン寺院。
アンコール・ワットよりも遥かに規模が大きい。
十六の塔と中央祠堂が立つ須弥山をを象徴化したもので、塔は四面塔と呼ばれ大きな笑みをたたえた観世音菩薩が四面に彫られている。


バイヨン寺院のレリーフ
バイヨン寺院のレリーフはアンコール・ワットの神話の世界や宗教の物語の他に日常的なものも多くある。
ベトナム人や中国人など区別してその生活を彫り込んでいる。

回廊のレリーフに彫られた物語には、仏教とヒンドゥー教が混在して彫ってあり、異なる宗教を許容して暮らしていたように見える。
それが、何故に消えて行ったのか。


バイヨン寺院の回廊から塔を望む
バイヨン寺院の回廊には切れ目があってそこから塔を望むことができる。




バイヨン寺院の微笑み観世音菩薩
笑みをたたえた観世音菩薩がたくさん居られる中で、
その一人は「京 唄子」さん、その子孫達の一部がトンレサップ湖・メコン川を通って遥か日本へ渡って来ていた事と思われます。
十六の塔と中央祠堂に四面の微笑み観世音菩薩はアンコール・ワットとは異なる雰囲気を感じる。



バイヨン寺院の回廊から次の回廊
回廊は中心側がレリーフで、
外側は柱があってその間から外界を望む事ができる。



バイヨン寺院の内部構造
内部構造は複雑。
不安定に見えても今まで残っている。
基礎がしっかりと作られているからだろうか。

アンコール時代はシヴァ神のヒンドゥー教と仏陀の仏教が混在している。
ヒンドゥー教と仏教は共にインドに興っている。
ヒンドゥー教のシヴァ神は破壊を司ると言われ強暴に思えるが、輪廻転生の考えに沿うものなのです。
物、例えば鉄でも溶かす事で次に新しい物に生まれ変わる事ができるのであり、そこに破壊があるのです。
人々も現世の苦しみは前世の行ないの結果であると考える事で受け入れ、来世に幸せを求めて生きるのです。
そしてシヴァ神は5世代後に仏陀となって甦っています。
仏陀は死後の世界を地獄極楽と説き現世の行ないと死への恐れを解きました。
異なる宗教が混在できた国には争いの無い世界があったものと思える。


バイヨン寺院の群塔
毛沢東とポルポトがつながっていたというイメージを持つ私にとって現代の悲劇が起きたのは何かの再現かと思う。
私のただの思いであるが。



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盆栽を賞美する要点は、幹肌の色艶や荒れ具合、葉性の良否、花の美しさ、実の俳味、幹と枝との調和、鉢合せなどがあって、生まれながらの持ち味の"何か"を感じるものを生かすようにして、わらかな乳白色の幹肌にあると思います。
前年、帯広地方を訪れた際拝見したぶなの盆栽も、どことなくやさしさと暖かさを秘めた美しさが感じられました。
ただ幹肌の良さだけでも楽しめるものが多かったことが思い出されます。
この樹の白く綺麗な幹肌は見事で、肌に傷のないのがさらに観賞価値を上げています。
黒く汚ならしいぶなでは、いくら樹形が良くっても魅力がないものといえるのです。
実際問題、帯広地方はぶなにとって住みよい環境なのかというと、好条件に恵まれた場所のようです。
考えられることは空中温度が低く地衣類が付着しないことではないでしょうか。
それにしても、冬期は想像以上に温度が低くなるので、越冬させる対策は泣かされるほど苦労していることでしょうね。
さて、正面が決まっている樹でも、見方によっては正面を変えたほうが良いのではと思えるものが割合に多いものです。
この樹は根張リ、立ち上がり、幹模様、枝の状態などを検討してみても、どうもこれ以上適当な正面とする位置は.現在で 山で年を経.たぶなは、上部の幹が真直ぐなのに、 日光の当らない根.尼か曲{.ているものか多く.根張りのいいものは極めて稀なものです。
この樹のように太根が四方に張った樹は、いい根張りと見なくてはならないでしょう。
そして、樹形別に分ければ、一応、立木ということになるのでしょう。
"立ち上がりを見てください"といわんばかりの素直な立ち上がりの美しさが最も重要視されます。
その点は力強くすっきり・したもので、白然な良さがあり、迫力すら感じられて見事です。
ご幹模様を見てみると、根元からほんのわずか左に立ち上がり、すぐに右に向って伸び、樹芯近くで再び左へと伸びて上部に行くにしたがって少しずつ細まっています。
山採りの際に樹高をつめて芯を立て替えたものだけに、上部で急に細くなっている状態ですが、山採り後の細かい心くばりによる樹づくりの成果で、白然の味を十分に感じさせて、それほど気にならず途中でつめた感じがなくなってきています。